春になって思うことー不登校や発達障害ってなんなんだろうー桜の蕾がほころび、柔らかな春の風が宗像の街を吹き抜ける季節になりました。皆様、いかがお過ごしでしょうか。パソコン教室ラクル宗像校のオーナーとして、気がつけば8年の月日が流れました。この8年、本当にいろいろな出会いがあり、数え切れないほどのドラマをこの教室で見届けてきました。当校は、一言で言えば「ごった煮」のスクールです。元気いっぱいの健常の子どもたちもいれば、学校に行きづらさを感じている不登校の子、発達障害と呼ばれる個性を持った子、スキルアップを目指す大人の方、そして「孫とLINEがしたい」「脳トレがてらパソコンを」と目を輝かせるお年寄りまで、本当に多様な年齢・背景の方々が一つの空間でパソコンに向かっています。健常の子どもが隣のお年寄りにタイピングのコツを教えたり、発達障害と呼ばれる子が大人顔負けのプログラムを組んで周囲をあっと驚かせたり。そんな化学反応が日常茶飯事のように起こるこの空間で、春という新しいスタートの季節だからこそ、毎年ふと思うことがあります。「不登校や発達障害って、結局なんなんだろう」と。レッテルという枠組みを超えて世間では「不登校」や「発達障害」という言葉が飛び交い、それに対する支援や対策が語られます。特に春は、進級や進学のタイミングで「うちの子、周りと同じようにやれるかしら」と不安を抱える保護者の方が多く相談に訪れる季節でもあります。当校の教育理念の根底には、「不登校でも障がい者も誰でも 楽しく等しく遊んで学ぶ場所を」という思いがあります。この「ごった煮」の教室で毎日生徒たちを見ていると、社会が貼るレッテルがいかに表面的なものかに気づかされます。例えば、学校の集団行動が苦手で「協調性がない」と見なされてしまった子が、プログラミング(当校で人気のマインクラフトなど)の世界に入った途端、大人も舌を巻くような論理的思考と凄まじい集中力を発揮することがあります。彼らにとって、教室のノイズや集団の画一的なペースは苦痛でも、自分のペースで深掘りできるデジタルの世界は最高の遊び場であり、学び場なのです。「障害」や「不登校」という言葉は、決してその子の価値を下げるものではなく、現代の画一的なシステムや社会の枠組みとの間に生じた「摩擦」の名前に過ぎないのではないか。私はそう感じてなりません。能力とは何か、個性とはなにかでは、本来の「能力」や「個性」とは何でしょうか。私たちはピカソの「できると思えばできる、できないと思えばできない。これは、ゆるぎない絶対的な法則である」という言葉を大切にしています。「この子は〇〇ができないから」と大人が蓋をしてしまえば、そこが限界になります。しかし、「遊んでいるように見える」カリキュラムの中で、子どもたちは自ら進んで習得しようとする姿勢を自然と身につけていきます。ある発達障害の診断を受けた子は、特定の分野への異常なまでのこだわりを持っていました。一般的には「切り替えができない」という弱点として捉えられがちです。しかし、プログラミングにおいてエラーを見つけ出し、思い通りに動くまで執念深く修正し続けるその姿は、まさに「才能」そのものでした。個性とは、平均値からのズレや劣っている部分ではありません。RPGゲームで言えば「ステータスの割り振りが極端なだけ」であり、輝く場所さえ間違えなければ、それは誰にも負けない強烈な「能力」へと昇華するのです。そしてそれは、決して子どもたちだけの話ではありません。「もう歳だから」と尻込みしていたお年寄りが、ご自身のペースで学び、「こんなこともできるようになった!」と驚き、喜ぶ姿を私は何度も見てきました。いくつになっても学ぶ喜びがあり、人間の能力は環境次第でいつでも開花するのです。親と子の関係性ー「ねばならない」を手放すーこのような多様な環境で生徒たちと接していると、子と親、保護者との関係性についても深く考えさせられます。保護者の皆様が我が子を心配する気持ちは、痛いほどわかります。「普通に学校に行って、普通に就職してほしい」。それは、子どもに無用な苦労をしてほしくないという、深くて純粋な愛情ゆえの願いです。だからこそ、我が子が「普通」のレールから外れそうになると、親御さん自身が焦り、自分を責め、時には良かれと思って子どもを無理にコントロールしようとしてしまいます。しかし、これからの世界で生きていく上で、何が重要でしょうか。ITの知識や経験は生活に必須となり、大学入試や就職でも当たり前に問われる時代です。「学校の教室で机に座って教わること」だけが、社会へ出るための唯一の道ではなくなりました。私は保護者の方に、「まずは焦らず、子どもが『真剣に遊ぶ』姿を信じて見守りませんか」とお伝えしています。子どもは、安心できる居場所と没頭できる何かさえあれば、自らの力で伸びていきます。親が「こうあるべき」という理想を手放し、目の前にいる子どもの「今」の姿、そのデコボコした愛おしい個性をそのまま受け止めたとき、親子の関係は劇的に変わります。子どもは「自分は自分のままでいいんだ」「お母さん・お父さんは自分を認めてくれている」と肯定されることで、初めて外の世界へ力強く踏み出す勇気を持つのです。終わりにラクル宗像校は、これからもずっと「ごった煮」の教室であり続けます。年齢も、背景も、得意なことも苦手なこともバラバラな人たちが、同じ空間でキーボードを叩き、マウスをブンブン振り回し、画面に向かって一喜一憂する。そこには、社会の縮図があり、同時に社会が目指すべき一つの理想の形があると思っています。「不登校」や「発達障害」は、決して暗い行き止まりの標識ではありません。それは「こっちには、もっと君に合った面白い道があるよ」というサインなのかもしれません。春の陽気のように、誰もが温かく、等しく学べる場所。自ら行動し、判断できる素養と、ITを活用した楽しみや喜びを一緒に見つけられる場所。そんな教室を、これからもスタッフ一同、全力で作っていきます。もし今、ご自身やご家族のことで立ち止まっている方がいらっしゃったら、ぜひ一度、私たちの教室を覗いてみてください。一緒に、真剣に遊び、楽しく学びましょう!